TeNYテレビ新潟
東日本大震災の被災者が書いた『未来の自分たちへの手紙』。先月、長岡市で掘り出されたタイムカプセルに入っていました。しかし、誰が書いたのかわからない手紙が一部あり、関係者が探しています。 長岡青年会議所は“ある手紙”の持ち主を探しています。 手紙のタイトルは『未来へのメッセージ』。東日本大震災の被災者が10年前の8月に自分に宛てて書いたものです。 <長岡青年会議所・北澤晶理事長> 「10年後の自分に向けたメッセージを書いていただいたタイムカプセルを2011年8月3日に埋めたんですけれども、それを今年開封しました。住所がわかっていない方のものがこちらに少し残っているような状況です。」 手紙には未来への不安と期待、様々な思いが込められていました。 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県の気仙沼市。長岡青年会議所は震災直後に現地で支援活動を行いました。 <当時の理事長・平石祥吉さん> 「中越大震災が起こって非常に全国の皆さんにご支援いただいた。いつか他の地域で災害が起きた時に、恩返しではないですけれども、いろいろな部分でご協力させていただこうということでした。」 その年の8月、気仙沼の人たちを元気づけようと長岡花火に招待。 その際、未来の自分に宛てた手紙を書いてもらってタイムカプセルに入れて埋めたのです。 10年が経った先月、タイムカプセルは掘り出され、気仙沼市の人たちに手渡されました。 しかし、手紙の中には気仙沼から花火に招待された人だけではなく、当時長岡市で避難生活をしていた人たちのものもあり、誰が書いたかわからない手紙があるのです。 【持ち主が分からない手紙】 「はなびがきれいでした」 「10年後、ふくしま県のいわき市はどうなってますか。いえにもどれたらいいなとおもいます」 最近、持ち主が判明した手紙もあります。 福島県いわき市に住む片寄勇さんです。福島県大熊町から夫婦で長岡市寺泊地域に避難し、2年間暮らしました。 <震災後長岡市に避難・片寄勇さん> 「青年会議所さん…いろいろなところから支援を受けて心がだんだん温かくなっていった。いい人たち、いい組織があって、そういう人たちが面倒を見てくれたということで、すごく感謝してます」 長岡の人たちとの交流はその後も続いているということです。手紙は、これから片寄さんの手元に届く予定です。 <震災後長岡市に避難・片寄勇さん> 「手元に戻るのはうれしいですね。こうやって『最後まで認めてくれる人たちがいるんだよ』ということを孫たちに教えたいなと思っていて、すごくありがたいと思っています。」 現在、2家族8人分の手紙が誰が書いたかわからなくなっていて、青年会議所はなんとかして書いた人のもとに届けたいとしています。
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