熊本県民テレビ(KKT)
熊本豪雨で大きな被害を受けた球磨村に2020年、宮城県から駆け付けた重機ボランティアがいる。一年間の支援活動の中で、被災した住民たちに新たな動きが起きていた。ボランティアがつないだ復興の姿を取材した。 熊本豪雨から1年を迎えた球磨村神瀬地区。 重機を操縦するのは地元に住む女性だ。 慣れない手つきもそのはず、2021年6月に免許を取ったばかり。指導するのは、萬代好伸さん(57)。1700km離れた宮城県からやって来た。 熊本豪雨の3週間後に球磨村に駆けつけた萬代さんは、災害復旧にあたる重機ボランティア団体「OPEN JAPAN」の一員だ。 メンバーは、新型コロナ「陰性」を証明するPCR検査や2週間の行動記録など、感染対策を徹底して熊本入りした。 活動の拠点となった神瀬地区は、球磨川の支流や山から流れてきた濁流で、集落は大量の土砂に埋まった。 黙々と土砂を片付ける萬代さんの活動の原点には、忘れられない体験がある。 10年前、自らも東日本大震災で被災。助けてくれたのがボランティアだった。その恩を次の被災地で返そうと全国を回り、重機を使った支援を続けてきた。 一面土砂に覆われて途方に暮れていた住民にとって、萬代さんたちは一筋の光だった。 「復旧が遅れれば、生活再建への気持ちがくじけやすくなる…」 萬代さんが大切にするのは、住民との対話。 ■萬代好伸さん 「ただ流れてきた土砂をかき出す、ただ家財の整理を片づけを手伝うだけじゃない。 心の負担を取り除く、それが一番、住民さんが一刻も早く自立して立ち上がるきっかけになると思う」 その信念は、しだいに神瀬の住民に伝わっていった。 萬代さんたちに教わりながら、重機の操縦を覚えようとする被災者が出てきたのだ。 岩崎ちふみさん(44)は福祉関係の仕事を辞め、小型重機の免許を取った。 ボランティアに頼るだけではなく、自らできることを増やしたいと考えるようになったという。 「復旧を、住民自らの力で」…萬代さんたちの思いが届いていた。 豪雨から1年後。萬代さんたちが球磨村を離れる日がきた。 萬代さんは「災害はいつかまたやって来る。それでも、今の神瀬であればきっと大丈夫」、そうメッセージを贈った。 ■萬代好伸さん 「今度は自分たちで何とかできる、そういったコミュニティーがここにはある。どうぞそのコミュニティをいかしてください」 ボランティアが去った神瀬で、岩崎さんが田んぼに溜まった土砂を撤去していた。見守るのは、息子の明生くん。 ふるさとの復旧に汗を流す母の姿を見るうちに、芽生えた思いがあった。 ■岩崎明生くん 「スコップで砂を掘る手伝いをしたりとか、石を拾ったりとか、自分にできることをするっていうこと。 神瀬が元のようになればいいかなあ」 元の生活を取り戻すにはまだ時間がかかる。 しかし、岩崎さんは自分たちが動くことで着実に前に進むと確信している。 ■岩崎ちふみさん 「私がここで作業していることで、住民さんが車で通って話しかけに来てくれて 『いつもしよるね』『じゃあうちらもしようか』って思ってくれたら一番」 自分たちの力でふるさとを取り戻す。 被災地から被災地へと受け継がれた、復興の姿だ。
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