広島ニュースTSS
困難な修行を成し遂げ、大阿闍梨となった塩沼亮潤さん。先週、西日本豪雨災害の被災地を初めて訪れました。被災地に立ち、被災者と話し、何を感じたのでしょうか。 この日、塩沼さんが訪れたのは5人が犠牲となった広島市安芸区矢野東の梅河団地です。 【塩沼亮潤さん】 「フェンスとか鉄骨が曲がったのも当時のままなんでしょうね。大自然の力ってすごいですね」 現在は大きな砂防ダムの建設が進みます。3年前、土石流が襲った住宅の跡地には今も土嚢が積まれています。住宅の跡に残されたガレージは亡くなった人に思いをはせる大切な場所になっています。 当時、高校生だった息子の将太朗さんを亡くした、植木富士子さん。 【植木富士子さん】 「ここの上の4軒はもうすべて本当に土台だけっていう形になって流されてこの辺りも6軒、7軒、きれいに流されましたね」 3年前のあの日。帰宅途中だった植木さん。家にいたのは将太朗さん1人でした。 【植木富士子さん】 「おじいちゃん家に避難した方がいいよ。本人も分かった、と話をして。2,3分後くらいに折り返しの電話がすぐかかってきて、その時に「やばいよ」っていうので「何が?」と聞き返したら、その瞬間にちっちゃい声で『やば』ってつぶやいて、それっきり」 団地にたどり着いた植木さんが見たのは地域の変わり果てた姿でした。将太朗さんの行方は分からず…植木さんは必死で探しましたが、被害は大きく、捜索は難航しました。10日後。将太朗さんは遺体で見つかりました。 あれから3年。 防災士の資格を取得した植木さんは依頼があれば、自宅のあった場所で当時のこと、そして、今思うことを伝えています。 【植木富士子さん】 「お母さんも小さいお子さんたちも、こんな年齢のうちから災害とかについて考えようという気持ちがあることがすごいなと思って。私も皆さんのようにきちんと災害について当時からこうやって意識があれば、家族を守れたのかな、と」 あの日のことを考えない日はありません。 【植木富士子さん】 「ただただ普通に生きていただけの一般人の高校生で、この歳でこういう苦しみに遭わないといけなかったのかと思うと、あの子が。手を合わせることもまだ息子には正直できなくて、たぶん死んだって認めたくない何かもたくさんあるんですけど」 あの日から植木さんの時間は止まったままです。塩沼さんはそんな植木さんの思いに心を寄せます。 【塩沼亮潤さん】 「私も、修業がまだまだなってないときには、もう何でどうしてっていう思いを一瞬持った時もあるんですけど、でもその後の経験の中で「ああそっか」って割り切れないものが割り切れる瞬間があるので、本当に深みにはまらずにいつか変われますようにという思いを1ミリでも持っていたらいいかもしれないですね。でもなかなかまだまだ3年ではね」 西日本豪雨災害では県内で4800棟を超える住宅が全壊、もしくは半壊となりました。 自宅の再建を諦めた被災者も少なくありません。 「こんにちは」 池田勝さん・永子さん夫妻。この場所に、かつて、自宅がありました。 【池田永子さん】 「普段、ここに来ないんですよ。(胸が)ぐっとくるから。ここの場所は見たくない。やっぱり色んなことを思い出してね」 呉市天応地区では12人が犠牲となりました。全壊・半壊した住宅は314棟に上ります。 この場所にあった池田さんの自宅もあの日、濁流に襲われました。 【池田永子さん】 「もう川のように庭のほうからダーッと水が流れているからイヤーっと思って。外に出ることができなくなって、トトトトってもう水が(胸まで)外は身長よりも水があった」 【塩沼亮潤さん】 「もうこちらには戻らない?」 【池田永子さん】 「もういいです」 【池田勝さん】 「また水につかるのはいやだって言ってね」 【池田永子さん】 「ここはもういいです」 自宅の修繕を諦めた池田さん夫妻。2年間の仮設住宅での生活を経て自宅の自力再建が困難な被災者が入居できる災害公営住宅を終の棲家とすることにしました。 【池田永子さん】 「昔の家のほうがそりゃいいですよ。広いしね。でもうまくできたもんでね、仮設の狭いところで辛抱2年させられてここに入ると感動しますよ」 【塩沼亮潤さん】 「仮設の生活はものすごい大変。本当に大変なことがあると、今まで小さな感謝って見過ごしていたのが感謝になることってありますよね」 今は目の前に広がる海で釣りをするのが楽しみだという勝さんと永子さん。少しずつ、今の生活に喜びを見出し始めました。 【池田永子さん】 「こんな感じで冷凍してます」 【塩沼亮潤さん】 「うわあすごいね」 【池田勝さん】 「毎朝ここで釣りに来る人と話すのが楽しみですね」 被災地を訪れ被災者と話し、塩沼さんが感じたことは… 【塩沼亮潤さん】 「本当に大変だったろうなという感覚、足を運んで被災地に行くとやはりなお体感できるというか、どうしても幸せだとそうじゃない人のことを忘れがちなんですけど、自分もそうなんですけど、でもそこはもう忘れないって自分も東北の大震災からそれを経験してそう思ったので、その思いを大事に、これからも皆さんと寄り添って生きていきたいなと思いました」
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