【現場から、】阪神淡路の被災者に寄り添い・・・27年の活動に幕
神戸市に住む牧秀一さん(71)。去年12月、阪神淡路大震災後、26年にわたって続けてきたボランティア団体を一定の役割を終えたとして解散しました。
牧秀一さん
「これで解散になった」
1995年1月17日、兵庫県南部を激しい揺れが襲い、一瞬にして多くの人の命と日常が奪われました。当時、定時制高校の教師だった牧さん。ボランティア活動を始めたきっかけは、避難所を訪ねた時に言われた一言でした。
牧秀一さん
「ボランティアリーダーの女の子、二十歳やってんけどね、『先生やから、人の話が聞けるでしょ』って言った」
この言葉をきっかけに被災者の不安や悩みを聞く活動を始め、「よろず相談室」を立ち上げました。また、被災者が知りたいと思う情報をまとめた新聞を作り、1日400部を発行したといいます。避難所が閉鎖された後も牧さんは「よろず相談室」を続けました。復興住宅に移り住んだ被災者たちのもとを訪れ、特に高齢者が孤立しないように話を聴いて回ったのです。
牧秀一さん
「こんにちは~、おめでとうございます。元気そうな顔してるやん」
女性
「今のところはね」
牧秀一さん
「気をつけてください」
女性
「おたくも気をつけてください」
牧秀一さん
「またね」
牧秀一さん
「いろいろ話をすることで、『ひとりではない』とすごく感じはるみたい」
牧さんは、活動を続けていくうちに震災で身体や心に障がいを負ったいわゆる「震災障がい者」の存在に気づき、サポートを始めました。災害見舞金などが受けられず、当時、社会にその存在を知られていませんでした。
牧秀一さん
「痛い?」
女性
「うん・・・」
牧秀一さん
「痺れるもんな・・・。動かしたらましになるん?ちょっと」
これまで何度も活動をやめようと思ったといいますが、そのたびに被災者の顔が思い浮かび、続けてきました。
牧秀一さん
「もともと俺、人を助けるのだというような人間じゃないねん。遊びたいなって思う人間やからね。結果としてみんなが喜んでくれはった。結果があとでついてくる」
団体の活動を終えた牧さんですが、年明け、東日本大震災の県外避難者らを支援する交流会にその姿がありました。
牧秀一さん
「これからは、災害が起きる時には明日は我が身であって、他人事ではないですよね」
東北の被災地を何度も訪れるなかで、まだ個人としてはできることがあると考えています。「人は人でしか救えない」。牧さんの信念に終わりはありません。
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