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Wednesday, March 15, 2023

あれから12年、息子は小学6年生に 「被災者の1人として、同級生の母として」防災授業で伝えたこと【静岡発】|FNN ... - FNNプライムオンライン

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東日本大震災が発生した日から12年。震災で福島県から家族で静岡県富士宮市に避難してきた女性が、小学校の防災授業で講師を務めた。被災者の一人として「考えて知ろうとする心を忘れないでほしい」と呼びかけるとともに、「命を大切にしてください」と同級生の子供を持つ母親の思いを伝えていた。

すべてが変わった3月11日

小笠原さん「携帯から聞いたことがない音がした」
小笠原さん「携帯から聞いたことがない音がした」
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小笠原 明日香さん:
携帯から聞いたことがない音がしました。それが初めて聞いた緊急地震速報でした

防災授業
防災授業

2023年3月3日、静岡県富士宮市の富丘小学校で開かれた6年生の防災授業。

講師を務めたのは、東日本大震災で被災した福島県郡山市から富士宮市に避難してきた小笠原明日香さんだ。

長男・日向くんと小笠原さん
長男・日向くんと小笠原さん

震災があったあの時、実家にいた小笠原さんは生後1カ月の長男・日向(ひゅうが)君と添い寝しようとしていた。

小笠原 明日香さん:
寝ていた日向を抱きかかえて、慌てて外の駐車場に飛び出してしまいました。だんだん揺れが激しくなってきて、塀がすごく波打つように揺れ、反対側にある家からは屋根の瓦が少しずつ落ちてきて、足元で砕けました

「生の声を聞き自分のこととして」

富岡小学校・中川優芽先生
富岡小学校・中川優芽先生

防災授業を企画したのは、富丘小学校の中川 優芽 先生だ。

移住して防災を学ぶ中川さん(2018年・岩手県)
移住して防災を学ぶ中川さん(2018年・岩手県)

中川先生は5年前、防災教育のスペシャリストを目指し、いったん教職を離れ、大学院で防災教育を研究しながら、2年間、釜石市に移り住んだ経験を持っている。

中川先生「子供たちが自分のこととしてとらえてくれたら」
中川先生「子供たちが自分のこととしてとらえてくれたら」

富丘小学校・中川 優芽 先生:
子供たちが自分のこととして、とらえてくれたら良いという思いで、当事者の生の声を聞くことによって、自分たちが生まれた時にこういうことがあったことを知ってもらいたくて、この授業を開きました

小笠原さん「家族で事前に話し合うことが大切」
小笠原さん「家族で事前に話し合うことが大切」

小笠原さんも、震災の経験を伝えたいと考えていた。

小笠原 明日香さん:
地鳴りが下から聞こえてきて、地震がくると気づくことがよくありました。1週間位ほとんど眠れなかったです。災害が起きたら、連絡を取り合いたい場面が出てくるかもしれないが、連絡はまず取れなくなると思ってください。待ち合わせ場所をあらかじめ決めておく、家族で話し合っておくことが大切だと思います

福島から栃木、そして静岡へ

福島・相馬市 2011年
福島・相馬市 2011年

2011年3月22日に発生した東日本大震災では、1万5000人あまりが犠牲となり12万戸以上の建物が全壊。(警察庁2021年3月)

小笠原さんが住んでいた郡山市では最大震度6弱を記録し、たくさんの建物が倒壊した。

さらに、福島第一原発の事故により、郡山市内でも環境放射能測定値が大きく上昇した。

小笠原さん「最初は他人事だった」
小笠原さん「最初は他人事だった」

小笠原 明日香さん:
原発事故が起きて、最初避難区域が10km、20kmと拡大していったが、郡山は50~60km位離れているので、最初は本当に他人事だったんです

2人で栃木に避難
2人で栃木に避難

当初は危機感がなかったという小笠原さんだったが、事故発生から10日後に弟の住む栃木県に息子と2人で避難した。ただ、さまざまな不安があり、そこでもなかなか外へ出る気持ちにはなれなかった。

6カ月後の2011年9月、夫の会社の配慮で富士宮市に引っ越した。富士宮市に来て、ようやく安心して外出できたという。

家族で富士宮へ
家族で富士宮へ

小笠原 明日香さん:
引っ越してきた翌日からベビーカーに乗せて河川敷を散歩して、やっと外に出せたなと、本当にそれがうれしくて

あれから12年、息子も6年生に

授業を手伝う日向君
授業を手伝う日向君

当時、生後1カ月だった日向君も小学6年生。この日の授業を手伝っていた。

長男・日向君:
母親から地震のこういうところがひどかったといったことや原発の被害とか。親のおかげでここに来れたので、親に感謝したい

小笠原さんと日向君
小笠原さんと日向君

日向君が元気に育ってくれたこと、そして、震災について関心を持ってくれたことに母親として感慨深いものがあるようだ。

小笠原 明日香さん:
福島はいろんな状況の人がうまれてしまって、強制的に避難をしなくてはいけなかった人と、私たちみたいに自分の判断で引っ越した人。当時、避難したくてもできない人がたくさんいたんです。私たちはたまたま転勤させてもらえて、こっちに来ることができました。たくさんの方にお世話になって、よくしていただいて今があります。感謝の気持ちを忘れないで、困っている人がいたら助けてあげられるような人になってほしい

被災者として、母として

防災授業
防災授業

小笠原さん親子は、地震だけでなく、原発事故が起きれば、日常が奪われることを伝えた。

小笠原 明日香さん:
今また原発を使った方が良いんじゃない、もうちょっと長く使った方が良いのではという話になってきています。でも原発を使うということは、さっきみたいなリスクもあることをみんなちょっと心に留めておいてほしい

真剣に耳を傾ける子供たち
真剣に耳を傾ける子供たち

小笠原さんの話を聞いた児童は、「原子力発電を知って、すごく良いときはあるけど、リスクもあることを知った」「自分たちが教わったことを、次の人たちに伝え、地震が起きた時には自分たちだけでなく、ほかの人も守れると良いと思った」と、それぞれ感じるものがあったようだ。

小笠原さんは、子供たちに以下のメッセージを送り授業を終えた。

子供たちに語り掛ける小笠原さん
子供たちに語り掛ける小笠原さん

小笠原 明日香さん:
災害が起きたらどうなるのか、考え、知ろうとする心をこれからも忘れないでください。命を大切にしてください。被災者の一人としても、みんなの同級生のお母さんとしても、みんなが無事に大きくなるのを心から願っているし、みんなの成長を楽しみにしています

(テレビ静岡)

記事 591 テレビ静岡

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