2023年5月5日、石川県珠洲(すず)市は震度6強の揺れに見舞われ、300棟以上が全半壊するなど被害が出た。映像作家の有馬尚史(ひさし)さん(36)=東京都町田市=は、珠洲の祭りを通じて復興へ歩む人々をドキュメンタリー映画にしようと被災地に通っていた。そのさなかで、今年1月の能登半島地震に遭遇した。
キリコの撮影から始まった
映画は「凪(なぎ)が灯(とも)るころ」。能登地方では夏の伝統行事として、大きい物では重さ約4トン、高さ15メートルを超える灯籠(とうろう)を引き回す「キリコ祭り」が催される。キリコとは、この灯籠のことだ。
有馬さんは、珠洲にボランティアに入っていた知人から映画の話を持ちかけられ、23年5月下旬からカメラを回し始めた。住民らは当初、祭りをやるべきか悩んでいたものの、時期が近づくにつれ次第に団結していった。
有馬さんは8月と9月には市内3地区に密着し、住民らが勇壮にキリコを巡行させる姿を撮影した。「誰もが真剣に祭りと向き合っていた。祭りを通じて街の雰囲気が変わっていくのを感じた」
以前のような明るさを取り戻した年末年始を撮るため、12月28日に再び珠洲に入った。住民らが除夜の鐘を鳴らしたり、元旦に初詣をしたりする様子などを撮った。
突然の大きな揺れ
その日の午後4時過ぎは、撮影の合間で市内の民家で仮眠していた。突然の大きな揺れで跳び起き、慌ててカメラを回し始めた。
直後に、更に強烈な揺れに襲われた。「ガタガタ」と建物がきしみ、瓦などが崩れ落ちて砕ける音が響いた。身の危険を感じて外へ飛び出した。
生き物のように動く地面。建物が倒壊して舞い上がる土ぼこり。目に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。
その後、車で高台に避難し、そのまま車中で夜を過ごした。
翌2日、海沿いの珠洲市蛸島(たこじま)町地区を歩いた。辺りはほとんどの建物が倒壊し、壊滅状態だった。「街はどうなってしまうのか」。絶望感がこみ上げてきた。
その夜、避難所になった小学校に避難し、被災者らと一緒におにぎりを作った。懐中電灯の明かりの下、持ち寄った米と釜でご飯を炊いて、1人1個ずつ配った。自分も一つ食べた。「皆が大変だったが、部外者を優しく受け入れてくれてありがたかった」
被災地の現実を伝える映画に
当初の予定より1週間ほど遅れて1月14日に東京に戻ると、すぐに本格的な編集作業に入った。
何度も通って撮影した街並みや風景の多くは、今回の地震で大きく傷つき、失われた。その中で、どう映画製作を進めていけばいいのか悩み、落ち込んだ。
3月下旬に約1週間、珠洲で追加の撮影をした時だった。「こんな時こそ、キリコを出さないと」。被災した住民らが今夏の祭りのことを話していた。「これが珠洲の人たちだ。自分も頑張らないと」と住民に勇気づけられた。
今は完成に向けて、作業に追われるが「昨年の祭りから今年の地震まで撮ったのは自分だけ。映画を完成させられるのは自分しかいない」と気持ちは前向きだ。
映画は6月にも、被災者向けの金沢市の試写会で先行公開される。「希望が見える作品にはならないかもしれないが、被災地の現実を伝え、困難に遭っても負けない人がいることを知ってもらうことで、多くの人の励みになってほしい」【阿部弘賢】
からの記事と詳細 ( 能登地震で被災した映像作家 映画で伝えたかった珠洲の姿とは - 毎日新聞 )
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