兵庫 → 宮城 → 「満天星」
能登半島地震で休館し、今月8日に再開した石川県能登町の「県柳田星の観察館『満天星』」に、2011年の東日本大震災で被災した宮城県の天文施設から、イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイの望遠鏡レプリカが無期限で貸与された。元々、1995年の阪神大震災があった兵庫県の施設から復興を願って宮城に移った作品。両被災地が立ち上がる姿を見届けてきた望遠鏡が、復興のバトンとして次は能登の復興を見守る。 (柴田一樹)レプリカは、ガリレオが初めて望遠鏡で星を観察してから400年を記念する「世界天文年」(09年)に、国内の天文学関係者らでつくる委員会が制作した30本の一つ。長さ約92センチで、口径16ミリ。革張りや金模様の装飾など、史料研究で当時を振り返りながら外見の細部まで忠実に再現された。
委員会メンバーで、阪神大震災を経験した兵庫県の明石市立天文科学館の井上毅館長が私蔵していたが、東日本大震災を機に宮城県大崎市の大崎生涯学習センターに無期限で貸与。11年5月から展示されてきたが、能登半島地震を受けてセンター長の遊佐徹さんが満天星への貸与を決めた。
「バトン」がつながれるきっかけをつくったのは、宮城県多賀城市出身で、4月に満天星に就職した学芸員の佐藤凜(りん)さん(26)。学生時代に同センターのボランティアに参加していた縁で、天文施設の震災復興について遊佐さんにアドバイスを求めた際、貸与を打診された。佐藤さんは「2カ所の被災地と復興の様子を見届けてきた望遠鏡。この地までつないだ多くの人の思いを能登の人に知ってほしい」と話す。
佐藤さんは中学1年生の時に東日本大震災を経験した。家は断水し、県外の緊急車両が町を行き交った日常を覚えているが、「宮城は完全に復興したわけじゃない。でも応援される側から、やっと次は応援する立場になれたんだなって」。被災地で育ち、そして被災地をつなぐことができた今、前へと進む故郷の確かな歩みを実感する。
新天地での慣れない環境と仕事で、気付いたら1日が終わるせわしない日々。相次ぐ余震が怖くないと言ったらうそになる。だが、佐藤さんは「能登の星空は本当にきれい。こんな時こそ、つながれた望遠鏡をきっかけに、きれいな星を見上げてみてほしい」と呼びかけている。
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