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Tuesday, June 15, 2021

この<まち>の下の記憶…被災地から - 読売新聞

taritkar.blogspot.com

 例えば、家族でトンカツをほおばるこの食卓の数メートル下には、10年前に多くの遺体が見つかった現場が眠っている――というセンテンスがあったとしよう。時系列で書き直せば、10年前の悲劇の現場はいまや復興を遂げ、かさ上げされた土地に宅地が造成されて、生活が再建された、というように穏当にはなる。しかし、東日本大震災の少なからぬ被災者は、生き延びた自分たちは文字通り、犠牲の上につくられた<まち>で暮らしていると自覚していて、冒頭のような、いささかどきっとする表現をあえて使う人たちがいるのだ。行方不明のわが子をしのび、自宅敷地部分のかさ上げを拒否し続けた遺族がいるように、東北沿岸部のまちには、復興事業とか土木工事といった文脈では理解できない<倫理的なもの>が確実に存在している。

 災害などがあると、こうした足もとの感覚や倫理観は、<まち>にとって普遍的な意味を持つように思われてならないが、実際のところ、それは一面的な見方でしかない。

 あえて、わずか、と前置きさせてもらうと、わずか150年ほど前の鉄道 (れい)(めい) 期の構造物でさえ、都心のど真ん中に埋もれていることをだれもが忘れてしまい、再開発にともなって出土して大騒ぎになるくらいなのだ(注:東京・港区のJR駅周辺で見つかった高輪築堤と呼ばれる遺構のことです。念のため)。わずか、であっても、すべての住民が入れ替わるボリュームの歳月を経ると、当事者の世代の価値観が通用しなくなり、申し送りも伝承も怪しくなり、忘れ去られることを覚悟しないといけない。風化にはそれなりに必然的な側面がある。

 それでも、そこに何が眠り、何が起きた土地なのかを知らなくても、その周辺で暮らす人にとってそこは、愛着のあるこの<まち>であり続ける。ほかならぬ自分たちの人生がいきられる場所だからだ。そして自分を含む多くの住民の人生がいきられる過程で、命が尽き、記憶が失われても、<まち>は変わらずそこにあり続ける。むしろ、記憶だの痕跡だの関係なく、変わらずにその<まち>があるとだれもが確信できる。これこそが、アイデンティティーの最大のポイントであり、謎かもしれない。

 テレビドラマのタイトル(注:わたしは見たことがありませんが)にもなった「テセウスの船」という逸話は、まさに示唆的だ。たいせつな船の部材を一つずつ新しいものに取り換えていくと、最終的にすべての部材が交換され、もとの部材はひとつもない状態になる。それでも人はそれをもとの船とみなし、たいせつにし続ける。これをパラドックスに分類する議論もあるようだが、ちょっと違うと思う。そもそもわたしたち生き物だって、刻々と新陳代謝が進んで、脳から骨にいたるまで組織・細胞がすべて入れ替わっているのだ。それでもだれも、わたしのことを別人物になったなどと考えたりはしないだろう。

 同一性という性質は、思うほど単純ではないし、簡単に把握できない。時間という厄介な要素が入り込んでいるからだ。くだんの船の話がパラドックスのように感じられるのも、わたしたちの頭が知らぬ間に、時間の起点と終点を短絡させて、都合よく差分を求めてしまうからだろう。裏を返すと、1日でも1年でもなく、世代交代・新陳代謝・老化・成長・忘却といったじわじわと変化するタイプの時間軸(を丹念に追うこと)を、わたしたちの頭はもっとも苦手としている。日々の暮らし、最大2週間の潜伏警戒、数か月オーダーの波、年単位のワクチン問題等々、複数の時間軸を同時に思考しないといけないコロナの時代のわたしたちには、思い当たる節がたくさんあるはずだ。

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