太平洋戦争末期の1945年3月、米軍の無差別爆撃で約10万人が犠牲になったとされる東京大空襲から10日で77年。江東区の「東京大空襲・戦災資料センター」では、家族とともに空襲の中を逃げ惑い、九死に一生を得た男性の手による連作画が公開されている。猛火に倒れた人々の姿を克明に描いたもので、センターは「悲惨な戦争の実態を次世代に伝えたい」としている。(大原圭二)
58点に及ぶ連作画を手がけたのは、2020年10月に88歳で亡くなった新潟市の坂井
3月10日未明、B29爆撃機が投下した
坂井さんは戦後50年の節目に合わせ、自身の壮絶な体験と残酷な空襲の様子を連作画「東京大空襲 硝煙の大島町」で描いた。
「川の中の船まで燃えだした。橋の上を火が走る。そこにいた人達がバラバラと燃えながら落ちていく」「むかい側の火は一気にごうごうと
「友人、知りあいが目の前で焼き殺されていくのが私の脳裏に強く焼きつく。死んでいった人たちのためにも記録を残しておこうと考えた」と手記に書いた坂井さんは、「あの時のことはとても割り切れるものではない。あの恐ろしい出来事が二度とあってはならない」と訴えていた。
坂井さんは生前、連作画の複製や原画18点をセンターに寄贈しており、長く収蔵庫で保管されていた絵を見つけた学芸員の
空襲を実際に経験した人が少なくなる中で、比江島さんは「データとしての被害ではなく、生身の体験を通じて空襲を知ってもらいたい」と考え、一部を公開した。来館者からは「圧倒的な迫力や生々しさに衝撃を受け、空襲の実態を知ることができた」といった感想が寄せられたという。
遺品を整理していた坂井さんの長女・高橋美和子さん(57)からは21年、新たに22点の原画も預かった。一部は画集「少年が見た東京大空襲」として今年2月に出版もされ、高橋さんは「父は絵を『自分の分身』だと言っていた。見てもらえる形にできて
からの記事と詳細 ( 被災者の連作画公開 江東で 東京大空襲77年 - 読売新聞オンライン )
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