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Friday, July 7, 2023

今度は私が被災者の力に母と姉が犠牲の男性予備自衛官に西日本豪雨年 - 読売新聞オンライン

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 濁流と土砂に数多くの命がのみ込まれた2018年7月の西日本豪雨の発生から6日で5年となった。遺族は決して消えることのない大切な人への思いを胸に、追悼の夏を迎えた。(岡大賀、浜端成貴)

 「これからも見守っていてください」。広島市安佐北区の実家に住んでいた母と姉を亡くした広島市南区のトラック運転手、片山兼次郎さん(49)は6日午前、安佐北区の追悼式に出席した後、実家の跡地に足を運んで花を手向けた。

 片山さんは昨年10月、自衛隊の活動を補完する予備自衛官になった。それは、あの日のつらい経験と深く結びついている。

 5年前の7月6日夜、実家の裏山が崩れて土石流が発生し、母恵子さん(当時70歳)と姉 さん(当時46歳)が巻き込まれた。親類から知らされ、土砂降りの中、普段は車で30~40分かかる道を2時間半かけて駆けつけた。実家は無残に破壊され、土砂に埋もれていた。「無事で見つかってくれ」。祈りながら捜索を見守ったが、2人は翌日午後、遺体で見つかった。

 幼い頃から腎臓病で体が弱く、学校を休みがちだった片山さん。姉は友達代わりになって遊んでくれた。母は登下校時には必ず付き添い、常に体をいたわってくれた。「体によい新鮮な卵を食べさせたい」と家で鶏を育てていたほどだ。

 約10年前、母が肝臓病を患い、家族が肝臓の一部を提供する「生体肝移植」が必要になった。結婚し、子どももいた片山さんをおもんぱかった姉は「私がお母さんを助ける。家族のいるあんたは無理せんでいい」。姉から移植を受けた母は病気を克服し、豪雨当時は地域の世話役を務めていた。

 「どこまでも優しく、尊敬できる人たちだった」。その2人を突然失い、人目をはばからず、現場で泣きじゃくった。

 その後も、数多くの犠牲者が出る災害が全国で相次いだ。その度に当時を思い出して心を痛め、遺族の気持ちを思いやった。「被災者のために、自分に何かできることはないか」。そんな思いが強まる中、母や姉の捜索にあたった人々の献身的な姿を思い起こした。

 「危険な現場で顔も知らない母と姉を懸命に捜してくれた。自分も被災者のために何か役に立ちたい」。そう考え、仕事と災害時の活動を両立できる予備自衛官を志した。

 腎臓病は18歳で完治していたが、体力に自信はなかった。それでも「母と姉は『やりたいことをやりなさい』といつも言っていた。応援してくれているはず」とジョギングやジム通いで体を鍛えた。

 2021年5月に筆記などの採用試験を受け、候補生の予備自衛官補に合格。「基本教練」などの訓練を受け、昨年10月に予備自衛官となった。

 予備自衛官は年5日間の訓練に参加する必要がある。6月28、29両日には、陸上自衛隊海田市駐屯地(広島県海田町)で、予備自衛官になって初めての訓練に臨んだ。炎天下で、ヘルメットに長袖の迷彩服を着用し、基本教練の他、けが人の手当てなど災害時に役立つ訓練も受けた。「けが人の手当てでは経験不足を感じた。今後も訓練を重ね、いざという時に役立てるようになりたい」と決意する。

 今後、災害で招集がかかれば迷わず行くつもりだ。それが、自分に優しくしてくれた母と姉への恩返しだと思う。

予備自衛官= 自衛隊法に基づく非常勤の特別職国家公務員で有事や災害で招集される。現職自衛官と共に最前線で活動する「即応予備自衛官」、主に現職自衛官の後方支援にあたる「予備自衛官」、予備自衛官志願者の「予備自衛官補」がある。いずれも一般の人が試験や訓練を受けて合格すればなれる。それぞれに年齢制限がある。西日本豪雨や東日本大震災などで出動実績がある。

 50年以上連れ添った妻の時子さん(当時73歳)を災害関連死で亡くした岡山県倉敷市真備町の藤本雅徳さん(81)は6日朝、自宅にある仏壇の遺影に「行ってくるよ」と心の中で声をかけ、市の追悼式へ向かった。

 快活な性格だった時子さん。2人の子どもに恵まれ、幸せな家庭を築いた。老後はあちこちへ旅行に出かける仲良し夫婦だった。

 豪雨で全てが暗転した。自宅が1・6メートル浸水。修繕が必要となり、同県総社市のみなし仮設住宅に入居した。時子さんは「家に帰りたい」「友達に会いたい」と繰り返し、物忘れも激しくなった。

 被災から約半年後の18年12月23日、地元で開かれる祭りに行くことになった。いつになくうれしそうな時子さんと仮設住宅の玄関を出ようとした際、時子さんが胸の痛みを訴え、受診した病院で数時間後に死亡した。急性大動脈解離だった。後に災害関連死として認定された。「慣れない環境でストレスをかかえていたのか。もっと悩みを聞き、いたわればよかった」と今も悔やむ。

 19年7月末、自宅の修繕が終わり、時子さんの遺影と一緒に帰ってきた。「孤独死したらいけんから」と別の場所に住んでいた娘夫婦が同居してくれた。「時子もきっと安心しているはず」。最愛の人を思い続け、生きていく。

 豪雨による305人(読売新聞まとめ)の犠牲者には、岡山、広島、愛媛3県で、避難生活のストレスや持病の悪化などが原因の災害関連死と認定された83人が含まれている。

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