熊本県内在住の外国人を支援する団体「コムスタカ-外国人と共に生きる会」は19日、熊本市中央区の県民交流館パレアで被災者支援をテーマに意見交換会を開き、7月豪雨で被災したフィリピン人女性らが当時の状況を報告した。情報伝達の言葉の壁に加え、災害に対する危機感の薄さなどから、情報が届いても実際の避難行動に結びつきにくいといった特有の課題が浮き彫りになった。
意見交換会は、コムスタカ代表で行政書士の中島眞一郎さん(66)=同市=が、被災体験や課題を共有しようと企画。「フィリピン人会熊本」(松田アデラ代表)の会員ら6人が報告した。
「平屋の自宅が天井まで水に漬かった」。長池デイジーさん(51)=相良村=は、7月4日朝の状況を振り返った。日本人の夫と2人で自宅にとどまっていたが、知り合いの消防団員に「今すぐ逃げて」と言われ避難したという。間もなく自宅は水にのまれ、「呼び掛けがなければ、大丈夫だと思って家にいたと思う」と言う。
人吉市の宮田ゼナイダさん(48)は、寝室の畳が水圧で浮いているのに気付き、慌てて屋根裏に上がった。「近所の人にボートで救出され、避難所に行くことができた」と語る。別のフィリピン人女性は「携帯が鳴り、警報に気付いてはいたが、そこまで危険だと思わなかった」。近所の人に促され、ようやく避難したという。
中島さんは「避難を呼び掛ける報道や気象関係の情報が、外国人にきちんと伝わらなかった。顔見知りの呼び掛けでようやく身の危険を感じ、避難した人が多い」と話す。
県が豪雨の避難所を開設した市町村に聞き取ったところ、避難所にいる外国人は7月10日時点で「ゼロ」だった。県観光交流政策課は「避難所が何のための場所で、どこにあるかも知らず、友人宅などに避難した外国人が多かった」という。
しかし実際には、外国人の妻が日本人の夫と共に避難所で生活していたケースが複数あった。中島さんは「避難所を運営する人に外国人の存在が見えていないと、通訳者の確保や情報の英語表記といった配慮がなされない。存在の可視化が重要だ」と指摘する。
コムスタカは2016年の熊本地震に関しても、被災外国人の生活再建相談に応じるなど息の長い支援を続けている。中島さんは「被災外国人の状況は見えづらく、支える人も少ないため孤立しがち。教訓を共有し、次の災害に備える必要がある」と強調する。(深川杏樹)
からの記事と詳細 ( 熊本豪雨 被災外国人の体験報告 教訓共有、次に備え - 熊本日日新聞 )
https://ift.tt/3rpIp6x
No comments:
Post a Comment