東日本大震災の激しい揺れによって決壊した農業用ダム「藤沼湖」の濁流にのまれ、7人が死亡、1人が行方不明となった須賀川市で、地元の区長らが被災者の声を集めた記録誌を作成した。古里を襲った水害の記憶を後世に伝えようと、2年以上かけて編集した。
〈近所の家が斜めになって流れてきた。でかい机が流れて来て、ぶつかれば死ぬなとか思った〉
記録誌「あの日を忘れない」は、被災者28人の証言が記されている。どれも生々しい体験談ばかりだ。決壊によって流れ出した水は22棟を流失・全壊させた。
中心的な役割を担ったのは、被害が大きかった長沼地区の区長、柏村国博さん(66)。震災直後からこの悲劇を風化させないようにしなければとの思いだった。区長になった2018年、同級生で当時「被災者の会」会長だった森清道さん(65)らと活動を始めた。2人の家も流されたり浸水したりした。柏村さんは「福島では原発事故があって藤沼湖のことはすぐに忘れられた。時間がたつほど実感するようになり危機感があった」と話す。
最初に訪ねたのは、1951年に農業用ダムの決壊で75人が犠牲となった「平和池水害」の語り部だった京都府亀岡市の中尾祐蔵さん(78)だった。同水害から60年後に起きた同じ農業用ダムの決壊に、現場に駆けつけて支援金を寄付するなど気にかけてくれていた。「災害の記録を残す活動はつらいが、いま動かないと災害そのものが忘れ去られてしまう」。記録誌を作った経験がある中尾さんの言葉が活動の支えだった。
地元で生まれ育った2人にとって、話を聞く相手は顔見知りばかり。ただ、犠牲者の家族からはやんわりと断られた。あの日に何があったかを話すことは避ける風潮もあり、住民の口は重かった。それでも「記憶が風化すると同じ悲劇をくり返すかもしれない」と粘り強く説得を続け、1年半かけて話を聞いて回った。
少しずつ口を開き始めた住民の話に、「ゾッ」と背筋が凍るような気持ちになった。一方、避難している最中に水に流された妻を助け出そうと危険を顧みずに濁流に飛び込んだ夫、木の枝にしがみついている見ず知らずの高齢女性を救助した男性2人組など、住民が助け合っていた事実に胸が熱くなった。
「誰かに話すつもりはなかった。もう話すこともないだろう」と一回きりで応じた被災者もおり、思いに応えようと、一人ひとりに起きた出来事を当時の写真とともにできる限り詳しく掲載。決壊に関する県の検証委員会の調査報告書なども盛り込み、記録誌は128ページに及んだ。森さんは「あの時に何が起きていたのかを改めて知ることができた」と話す。
記録誌は、被害を受けた地区の各世帯や須賀川市内の小中学校などに配る予定だ。柏村さんは「震災から11年がたとうとする中で、ようやくまとめることができた。この記録誌を活用して記憶を受け継いでいってほしい」と語った。
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