(報道局 調査報道班 小野高弘)
■「生きている価値はない・・・涙がとまらず」
輪島市の避難所。被災した男性のそばに正座し身をかがめるように話を聞いているのは、臨床心理士の福島正樹さんです。国境なき医師団の一員としてこれまでパレスチナ、シエラレオネ、スーダンなどの現場で人々の心のケアに携わってきました。1月25日、東京からキャンピングカーで石川県に入り、以来輪島市で被災者一人ひとりに向き合っています。
朝、避難所の代表者に挨拶をすることから始めます。「あの方は最近1人でいることが多いんだよね」そんな代表者の一言も手がかりに声をかけていきます。
発災当初の生死に関わる局面から1か月半が経ち、避難所で毎日を送る人の間では少しずつ落ち着いた時間も流れるようになりました。でもその時間とは、行く場所がない、きょう何もやることがない、本を読む気にもなれない、そのような時間です。心のバランスを崩すのはそんな時だといいます。よく考えたら輪島では仕事がない・・・車も失い移動はどうすればいいのか・・・亡くなった家族の葬式もできていない・・・。自分は深刻な状況にあるという現実に初めて直面し、孤独を感じ、幻滅した気持ちに苦しめられるといいます。
各自治体がガイドラインで示していますが、災害時の心理的経過は、被災直後の「茫然自失期」、その後被災者同士が強い連帯感で結ばれる「ハネムーン期」があり、この時期を過ぎると、被災者の疲労や忍耐が限界に達してやり場のない怒りにかられたり、落ち込んで喪失感を抱いたりする「幻滅期」があり、その後、地域作りへの参加により自信が向上する「再建期」があるとされています。この経過の中で不調が長引き、PTSDやうつ病を抱える人も少なくありません。
避難所で福島さんはある男性に近づき声をかけました。「こんにちは。いかがですか」。話し始めて5分、突然、男性は涙が止まらなくなりました。そして震災前からの身の上や今後の不安を1時間半止めどなく話し続けたといいます。震災前に新しく建てたばかりの家は潰れ、話せる身寄りはいませんでした。食事が喉を通らず体重は減り、眠れない日が続き、イライラすることが多くなっていました。これだけでも心の不調のシグナルです。その上、男性は福島さんを前に「自分は生きている価値がない」とも口にしたといいます。
福島さんは男性を災害派遣精神医療チームDPATに診てもらうことにしました。投薬などの治療を経て、今、男性には少しずつ笑顔が戻っています。
福島さんは、被災地での心理臨床の繊細さをこう話します。
「こんにちはと声をかけても、いいよあっち行けよといった反応をする人もいます。それも心理的な反応で、強いストレスを抱えている場合があります。イライラしている人は気に留めておいて、2回目、3回目で少しずつ信頼関係を築きながら話を聞いていきます」
「最初は話をしたくない様子で会釈程度が続いても、ひとたび顔を覚えてもらって話し始めると、仕事がないことや将来への不安、自治体の対応への不満などが噴き出てくる人もいます」
また福島さんは、被災者の中での「同調圧力」も生じていると感じています。ある避難所の一角に7人ほどが身を寄せ合う場所。「過去は過去だ」として前向きになろうとする人がいると、食事の時間、「きょうはご馳走だ!」などと笑い声もあがります。その中で、家族を亡くし家をなくし1か月で傷が癒えるはずもない、決して前向きな気持ちにはなれない人もいます。でもそれを口にすると場の雰囲気に水を差すことになるのではと思い、何も言い出せず不安を心の奥底にしまってしまうというのです。それは強いストレスとして蓄積されるといいます。
■「助けを求めることに罪悪感」
福島さんとともに輪島市で活動する国境なき医師団のプロジェクト・コーディネーター川邊洋三さんは、被災者の心のケアを難しくしている要因に「能登の土地柄」があると感じています。忍耐強い土地柄、自己主張を控え、悩みを積極的には他人に相談しない人が多い土地柄です。
「ご自身はいかがですかと聞くとほぼ全員が、私は大丈夫ですと言うのです。本当は話したいことはあり、話し始めると一気に出てくるのですが」
「私の家だけ残ってしまって申し訳ない、私だけ畳の上で寝られて申し訳ないといった罪悪感を抱く人もいます。周囲の誰もが似たような思いを抱えきつい生活を送っている中、つらいと口にすることは弱さだと思い、カウンセリングを受けるのは特殊なことだと考える人が多いと思います。だからカウンセリングをやりますと呼びかけても人はすぐには集まりません」
■市役所の職員も
こうした中、心の傷に蓋をしながら24時間態勢で働き続けているのが市役所の職員です。国境なき医師団の心理社会的サポート責任者・笹川真紀子さんは、輪島市役所を訪れて職員らとの面談を重ねています。
ある職員は身近な親族を亡くしました。別の職員は介護の必要な高齢の親を他県へ避難させ、自分は残って窓口で罹災証明発行などの仕事を続けています。余震が来たら自宅が倒壊する恐れがあると言われたものの部屋の整理をする余裕もないまま、次々と降ってくる仕事に追われる職員もいます。
「市役所の中は、今休むわけにはいかない空気感です。オンとオフがないんです。休んではいかがですかと聞くと、いやいやそれは無理、自分だけ休むわけにはいかないと皆さんおっしゃいます」
でも体は正直です。気は張った状態でも、頭痛や腰痛の症状が出たり、血圧が高くなったり、ヘルペスを発症したりする人が現れ始めているといいます。
「市役所の職員は市民からの不満をぶつけられやすく、窓口で職員がこらえている姿を目にすることもありますが、職員にとってはとても心の負担になります。しっかりとした心のケアが必要です」
■長期化の恐れも
こうした心の不調は、長期的な抑うつ、不安障害などにつながる恐れがあることが指摘されています。
東日本大震災の後、10年間にわたり被災地住民の心の問題について追跡調査を行った東北大学 精神神経学分野の富田博秋教授によると、自宅が大規模半壊以上の被害を受けた人の約30%は震災から3年たっても一定以上の心的外傷後ストレス反応の症状があり、10年後にも7%の人に症状があったといいます。
なぜ長引く人がいるのでしょうか。富田教授によると、大きな要因は人とのつながりだといいます。周囲のコミュニティーとのつながりが保たれ、自分のつらいことを含めて話ができる人は改善しやすい一方で、孤立している人は長期化する可能性があるといいます。
そのためにも今、被災地の人々が心理的な苦痛をひとりで抱えないための心のケアが必要だといえます。
■ “仕掛け”づくり
川邊さんは東日本大震災直後に3か月間現地で活動する中で、仕掛けを作りました。宮城県南三陸町の役場の隣に運動会で使うようなテントを張り、そこでカフェを開いたのです。3人ほどの臨床心理士が常駐し気軽に話ができる場にしたところ、大勢の被災者が訪れ利用しました。
輪島でも、被災者が「一息ついていいんだ」と思えるきっかけになる場所を作れればと川邊さんは考えています。解決すべき難題がまだいくつもあるとしながらも、カフェのように気軽に立ち寄れる相談室の開設を目指したいと話しています。
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