能登半島地震の被災体験を日記や漫画に記録し、発信する人がいる。被災の現場で何が起き、現場や避難所でどんなことがあり、被災者は何を思っていたのか。個人的な記録だからこそ、報道などではすくいきれない震災のリアルが伝わる。
珠洲市蛸島町の自宅で被災した鹿野桃香さん(29)=さいたま市出身=が、携帯電話に残してきた日記を「地震日記 能登半島地震発災から五日間の記録」と題したZINE(個人やグループの小冊子)にして発行した。
奥能登国際芸術祭に関係する仕事で珠洲に移住して7年。パートナーとのんびり正月を過ごしている時に地震が襲った。最初の避難所は見知った人も少なく、車中宿泊。直後から「日記を書くことで気持ちを落ち着かせていた」という。
避難所の小さな違和感、その日食べたもの、避難所で仲間と過ごせた安心感、発災後に初めて寄ったコンビニで食べたいものを選べる喜び、飼っていたネコたちとの再会…。日記だからこその自由な言葉使いで、被災体験をつづっている。
「2月以降、環境や感じ方も変わった」と、その後も書き続ける日記や、東日本大震災を体験した大学時代の友人と互いの経験を語り合った記録もZINEにするつもりだ。日記を書くワークショップも計画している。
「地震日記」はA5判、35ページ。知人、友人に配るほか、印刷した金沢市の石引パブリックで販売もしている。 (松岡等)
「市井の景色 重要」
東日本大震災に関する事柄を市民参加型で記録、発信する「せんだいメディアテーク」(仙台市)のアーティスティック・ディレクター甲斐賢治さんの話 報道や行政発の情報はマクロな目線になりがち。個人の体験が手記や映像で残されれば、例えば今は幼い子でもいつか出来事を身近に感じることができる。知人がどんな被害にあったのか分からないことも多い。「元気だった?」という何げない声掛けもためらい、語れない状況が広がる。それにあらがう手だての一つとして記録活動がある。身近な体験を残すことで、記録を媒介に語り合えるし、将来に伝えられる。同時に、記録の活動が事態を理解するすべとなり、きっと自身も治癒されていく。
すごいスピードで震災の風化は進む。戦争の語り部のように、当事者から語られる言葉は歴史を知り、忘れないための重要な回路だ。歴史は教科書や本に記されたことが全てではなく、個人の体験からなる断片的な側面もある。行政や報道が描く景色ではなく、市井の人から見た景色があっていい。
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