東京電力福島第一原発事故の被災者訴訟で、国と東電に賠償を命じた30日の仙台高裁判決。午後2時半前、裁判長が判決を読み終えた後の法廷に、「うおー」と原告らの歓声が響いた。先の見えぬ避難生活や放射能への不安を抱えた中での提訴から7年半。「よし」とうなずいた原告団長の中島孝さん(64)はすっと立ち上がり、両手の拳を高く掲げた。(片山夏子)
◆地元でスーパー、人々が震災後に店頼る
「完全に勝利しました」。高裁前に集まった150人を超える原告や支援者らを前に、中島さんは宣言した。「国の東電への(規制)権限不行使など、国の責任を明確に断罪。被害救済の地域も大きく広げました」。苦労を共にしてきた仲間たちを見回した。
福島県相馬市で生まれ育った中島さんは、地元松川浦漁港から車で10分ほどの住宅地でスーパーを営む。店には、漁港で仕入れた魚を並べた。ヒラメ、メバル、ツブ貝、タコ…。朝5時、自ら刺し身用にさばく。地元の魚と手作り総菜が評判で店は順調だった。
そんな日常が2011年3月11日から大きく変わった。「周囲が避難する中で不安もあったが、逃げるわけにいかなかった」。周辺のコンビニが閉まる中、多くの人が店を頼った。近くの農家を回って食材をかき集め、活魚用のトラックを消毒して給水車に。店の前には行列ができた。
◆仲間の漁業者らが窮状…東電と交渉
地元の魚が出せない日々が続いた。津波で漁港が破壊され、原発事故で漁自体ができなくなった。「地元の魚が入らないんじゃ商売にならねぇ」「もう首つるしかねぇ。おら」。仲間の業者らの窮状を受け、小売業者の組合長として東電と交渉を始めたものの、なかなか補償が出なかった。
原告団長を打診されたのはそんな時期だった。悩んでいた時、妻が背中を押した。「ここで逃げてどうする。店は長男に魚のこと教えてなんとかすっから」
原発事故から9年半、共に裁判で闘ってきた仲間92人は、高裁判決を聞くことなく亡くなった。
◆放射能に追われた記憶忘れない
「放射能に追われた記憶は忘れられない。各地の民事訴訟や刑事裁判では、国や東電の言い分と矛盾する証拠が出てきている。故郷を追われた人、商売を再開できない人、再開してもうまくいかず苦しむ人がいるのに、国は原発を主要電源とし再稼働をしていく」
原発に頼り続ける国に怒りは増すばかりだ。勝訴に一瞬笑顔を見せるも、すぐ厳しい表情に変わった。他の被災者の救済につなげるため、10月1日から、国に賠償基準見直しなどを求めるよう福島県を中心に自治体を回る。闘いはまだ終わらない。
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