昨春、私が会長を務める長崎原爆被災者協議会(被災協)に「被爆二世の会」ができました。これまで実現しなかったのは、2世が仕事や子育てに追われていたことや、偏見を受けることを心配したからです。
二世の会の発足は、私たちに残された時間が少ないことを物語っています。1956年に結成された被災協ですが、3万人いた会員は、半世紀を経て約1万人に減りました。結成時の呼び掛け人の一人で、運動を共にしてきた山口仙二さんも、今年7月に逝ってしまいました。
二世の会は精力的に動いてます。親の被爆体験を聞いたり、福岡や熊本、鹿児島など他県の2世と交流を深めたり。核兵器廃絶と被爆者援護の拡充を求めてきた私たちの足跡も学んでいます。日本被団協にも二世委員会ができ、継承の動きは全国に広がりつつあります。
私自身も、娘と息子が仕事を退職したら、後を継いでほしいと思っています。子どもに被爆体験や運動を話したことはないし、聞かれたこともありません。でも、背中の傷に苦しむ姿や、海外で演説する姿を見て育っているから、頼まなくても分かっていると思うんです。
自宅には、4人いる孫のうち、息子・英夫の長女の手形と足形だけを飾っています。その子の誕生日は2004年8月9日。何の因果か、原爆が投下された日に生まれたんです。わざわざ色紙にして持ってきてくれた英夫には、私の気持ちが伝わっているんじゃないかなぁ。
数万の命を一瞬で奪った原子爆弾。背中一面を焼き尽くされた私は、あのとき滅び損ねてしまった。死ぬまで消えない痛みと苦しみを背負い、家族や友人、同じ境遇の仲間、そして平和を願う人々に支えられながら生かされてきたんだと思います。
核兵器廃絶という被爆者の悲願はいまだ達成できていません。子や孫の世代に託さざるを得ないことは、悔しいし、申し訳ない。死んでいく者の土産として、せめて廃絶の道筋だけはつけないといけない。2年後の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の場で実現できるように、命を振り絞って訴え続けたい。
長崎を最後の被爆地とするため、私を最後の被爆者とするため。核兵器廃絶の声を全世界に。(聞き手 久知邦)
=おわり
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「原爆を背負って」の英訳版「THE ATOMIC BOMB ON MY BACK」が米国で発行されました。同国で自費出版する日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は初版500部の発行に必要な資金70万円をクラウドファンディングで募りました。
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September 23, 2020 at 09:02AM
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命を振り絞る 私を最後の被爆者とするために 原爆を背負って(最終回) - 西日本新聞
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