東日本大震災が起き、生活と営みを取り戻そうと歩んだ10年半。宮城県の村井嘉浩知事は「創造的復興」を掲げ、時に国をも動かす行動力で巨大事業を推進した。その足元で、被災者への目配りはどうだったのか。経験は生かされているか。任期満了(11月20日)に伴う知事選を前に、県による被災者支援の実相を探る。
「ついのすみか」と信じて入居した被災者の悲痛な声が、県政に届かない。
仙台市宮城野区の田子西災害公営住宅。3年前、町内会役員だった50代男性が娘の就職で収入超過世帯となり、市に割り増し家賃を適用されて引っ越した。
町内会の高齢化率は35・6%と市全体より11・2ポイント高い。男性の転居は担い手不足が深刻な町内会運営にとって痛手だった。
「若い世代に町内会活動に関わってほしいが、収入超過世帯になると抜けてしまう。高齢化が加速し、運営は年々厳しくなる」。町内会長の川名清さん(72)がそんな苦境を強く訴えるのには理由がある。
東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県で県営の災害公営住宅を建てなかったのは宮城県だけだ。
岩手、福島両県は収入超過対策として県営の家賃上限額を引き下げ、一部市町村も追随した。これに対し宮城県は減免支援の方針を出さず、11市町が独自に支援する一方、仙台など10市町は減免せず市町によって支援格差が生じた。
川名さんは「指導的な役割を発揮していない」と県を遠い存在に感じる。
宮城県にも幻と消えた県営整備の計画があった。
県内に災害公営住宅が約1万2000戸必要で、うち県営を1000戸程度建設する-。県内全域の被災者支援のため2011年末の県復興住宅計画に盛り込み、12、13年度予算に設計費も計上した。
最大被災地の石巻市をはじめ、東松島市が県営建設を要望した。だが民間が建てた住宅を自治体が買い取るなど整備手法が広がり、14年6月に県営計画は立ち消えとなった。
「県営を整備した岩手、福島の対応や将来の負担を考えると、物足りなさを感じた」。県に要望で出向いた前石巻市長亀山紘さん(78)は振り返る。
やがて収入超過問題が浮上すると、県議会でも県の被災者支援の姿勢が「市町村任せになっていないか」と疑問の声が上がった。村井知事は「自治を尊重するのも重要。直接支援は市町村が担うのが本来のあるべき姿だ」と原則論を盾に批判をかわした。
1760戸の災害公営住宅を管理する岩手県は被災者と向き合う日々が続く。
「住民の顔も名前も分からない」との声を受け、入居者の同意を得て個人情報を自治会などに提供する仕組みを構築した。コミュニティー拠点となる集会所の利用状況も把握し、家賃減免や駐車場問題をテーマに県の担当課長と自治会役員が顔を突き合わせる。
宮城県は自治会活動に最大で年200万円を補助するものの、最長でも5年。入居者の健康調査は今春打ち切った。
災害公営住宅のコミュニティー支援活動を続ける岩手大の船戸義和特任助教は「県営の有無にかかわらず、被災地の共通課題に大きな方針を示すのは県の役割だ。高齢化などで問題が深刻化する被災者の現状を県も把握する必要がある」と指摘する。
被災者支援に、広域調整の機能をどう果たすべきなのか。県の当事者意識が見えない。
(報道部・鈴木拓也)
関連リンク
からの記事と詳細 ( <耕論・宮城知事選/被災者支援の実相>(1)県営ゼロ、見えぬ主体性 - 河北新報オンライン )
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