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Tuesday, November 2, 2021

「被災者と向き合って」 遺族、東電元幹部に訴え―原発事故控訴審・東京高裁 - 時事通信ニュース

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2021年11月03日07時58分

東京電力元幹部3人の刑事裁判に関する新聞スクラップを手に取る菅野正克さん=10月23日、水戸市

東京電力元幹部3人の刑事裁判に関する新聞スクラップを手に取る菅野正克さん=10月23日、水戸市

  • 菅野健蔵さんの遺影=10月23日、水戸市

 東京電力福島第1原発事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で強制起訴された同社元幹部3人の控訴審が2日、東京高裁で始まった。原発がある福島県大熊町出身で、父親を避難の末に失った菅野正克さん(77)は「被災者や避難者にちゃんと向き合ってもらいたい」と訴え、一審の無罪破棄を求めている。
 正克さんの父健蔵さんは肺炎をこじらせ、2011年3月11日の東日本大震災当日は、第1原発から約4.5キロ離れた双葉病院に入院していた。原発事故後は自衛隊のバスで搬送され、県内の体育館や病院を転々とした末、同6月に肺炎と脱水症状で衰弱し、同県会津若松市内の病院で亡くなった。99歳だった。
 「100歳まで生きたいと話していたのに」。正克さんは悔しさを隠さない。
 健蔵さんは死亡時期の関係から、起訴状で被害者と認定された双葉病院の入院患者に含まれなかった。それでも、「同じ境遇に立たされた高齢者の悔しさを晴らしたい。真実を知りたい」との思いから、正克さんは東京地裁に足を運び、公判の傍聴を続けてきた。
 「法令上の規制や国の指針などは、(原発の)絶対的安全性の確保までを前提としていなかった」。正克さんが一審判決で特に憤りを覚えた一節だ。「じゃあ、私らは危険な所に住まわせられていたのか。人権無視も甚だしい」と語気を強める。
 正克さんは大部分が原則立ち入り禁止の帰還困難区域となっている大熊町に戻れず、避難先の水戸市で暮らしている。国の被災家屋解体事業に申し込み、同町で営んでいた精肉店を今年、取り壊した。「この10年、被災者や避難者は大変な思いで過ごした。とても一言で言い表せない」と語った。

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