2020年7月の熊本豪雨で災害が起きた当初から、被害の大きかった人吉球磨地方で取材を続けている。この1年7カ月の間に、国はダム建設を含む球磨川水系の治水策を矢継ぎ早に打ち出してきた。一方、被災した住民たちはそれぞれの事情に戸惑いつつも、生活再建に向けてようやく一歩を踏み出したという印象だ。
昨年11~12月、元日から5回掲載した豪雨関連の連載「それぞれの一歩」の取材のため、球磨村の神瀬地区に通い詰めた。この地区は村の中心部から離れた北部に位置し、球磨川や支流の川内川沿いを中心に集落が点在。豪雨災害では地区全体の3割に当たる約90世帯が全半壊した。多くの人が地区外での仮住まいを余儀なくされている。
連載では文字通り、神瀬の住民や出身者の「それぞれの一歩」を紹介した。自宅を一部改修して仮設住宅から戻った女性、戻らないことを決めた夫婦、古里の力になりたいと村外から足しげく通うようになった若者…。踏み出した道はさまざまだが、道の先に何があるのか見通せない点は、いずれも共通している。
大きな課題の一つが住まいの確保だ。村は自宅を失った被災者のため、災害公営住宅(復興住宅)を村内3地区に整備する方針。渡と一勝地の2地区では来年夏までの完成を目指している。だが、神瀬は用地取得のめどが立っておらず、「入居時期が見通せず、いつまでも待てない」といった声も聞かれる。
国が治水策として示した宅地かさ上げの高さを巡っても、住民は「ダム建設などを前提にした高さでは不十分」と指摘。このままでは再び浸水被害に遭いかねないと不安を抱いている。
神瀬はもともと、過疎化が進んでいた。被災前から小学校は統廃合され、病院やスーパーもなかった。車の運転に自信が持てなくなった高齢者の中には、通院や買い物に便利な人吉市や錦町での仮住まいに慣れ、「今の暮らしを続けたい」と考え始めた人もいる。
村外で仮住まいをしている男性に「神瀬の住民には『戻ってくる』と話しているが、本当は迷っている」と打ち明けられたことがある。残った人たちに後ろめたさを感じていた。愛着のある古里で暮らし続けたいという願望と、現実にのしかかる生活上の不安との間で揺れ、難しい判断を迫られている住民は多いのだろうと感じた。
災害直後に発足した住民組織も現実を直視し、古里の再生を進めている。発起人の一人で住職の岩崎哲秀さん(48)は「また神瀬で暮らしてほしいと言える段階ではない。ただ、離れたとしても、たまに顔を出してもらえるようなつながりは保ちたい」と話し、仲間たちと地道な活動を続けている。
「たくさんの思い出がある神瀬を離れるのは、つらい決断だった。でも仕方なかった」。生活不安から転居した人吉市でそう語った日當[ひあて]國弘さん(82)は昨年の大みそか、解体した自宅跡にいた。「1年の最後はここにいたいと思って…。来るたびに、いろんな光景がよみがえります」。更地にお神酒や餅を供えると、幸せな新年になるようにと手を合わせた。
神瀬に戻る人、離れる人、悩み続ける人-。それぞれの選択全てが尊重されるべきだ。進む道は別だとしても、誰もが古里の再生を願っている。行政をはじめとする周囲の支援によって不安や負担が少しでも取り除かれ、それぞれが進んだ先に笑顔になれる将来が待ち構えていることを願っている。(人吉総局・小山智史)
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