Pages

Wednesday, March 30, 2022

「石川県原爆被災者友の会」閉会 平和運動に取り組む2人の思い - 毎日新聞 - 毎日新聞

taritkar.blogspot.com
大田健志さん 拡大
大田健志さん

 石川県内の被爆者でつくる団体「石川県原爆被災者友の会」(金沢市)が高齢化が進む中、31日で閉会する。戦後77年、戦争を知らない世代が多数を占める中、原爆の悲惨さをどう伝えていくか。平和運動に取り組む県内の2人に取材した。【井手千夏】

 大田健志さん「試行錯誤しながら」

  被爆者からの聞き取りをもとにした紙芝居作りに取り組む県保険医協会職員の大田健志さん(29)=金沢市=は、被爆者の祖父母がいるわけでも、被爆地出身でもない。周囲は50歳以上が多い。それでも「我々は被爆者と触れ合える最後の世代」と平和運動に奮闘する。

 大田さんが「核」に興味を持ったのは金沢大2年だった2012年。東日本大震災による東京電力福島第1原発事故(11年3月)の避難者との交流会に参加し、餅つきや木工作りに笑顔で取り組む裏で、故郷を追われて苦しむ人々について考えさせられた。

 大学卒業後、保険医協会が事務局を務める「石川反核医師の会」の担当になった。仕事を通して被爆者と交流する中、県原爆被災者友の会会長の西本多美子さん=金沢市=と出会った。自身の被爆体験を熱弁する姿を見て、いまだに健康被害に苦しむ人がいることに気づかされた。それまで自分にとって教科書で読んだ出来事に過ぎなかった原爆が、自分にとっても大事な問題だと感じた。

 その後、多くの平和活動に携わった。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の顧問や県原爆被災者友の会初代会長を務め、2020年9月に91歳で亡くなった被爆者、岩佐幹三(みきそう)さんの体験を基にした紙芝居の制作メンバーとして参加したり、被爆医師らを追った映画「ヒロシマ、そしてフクシマ」の上映会を企画したりした。

 21年春ごろからは「石川県の被爆者の生の声を残そう」と、西本さんの体験を紙芝居にしようと取り組んでいる。月1回、金沢市の会議室に20~80代の男女約10人が集まり、西本さんが被爆した時の話や金沢に移り住んでからの話を毎回2時間ほど聞いた。現在は原案を作り始め、今後、絵を描く担当者を決めるなどすりあわせをしていく。

 葛藤がないわけではない。原爆について伝えるためにどれだけ頑張っても、同年代の戦争を知らない世代に本当に届いているのか。自分がやる活動に意味があるのか常に不安がつきまとう。

 若い人に伝えるために何が最善の方法なのか答えはまだ見つかっていない。それでも、インスタグラムや動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」といったSNSを駆使し、紙芝居や被爆証言を発信できないか考える。

 全国各地で被爆者団体の閉会が続く中、市民にとって被爆者が遠い存在になってしまうのではないかとの懸念はあるが、大田さんは「自分ができることを試行錯誤しながらぼちぼちとやるしかない。日常と、原爆という非日常の垣根をどうなくすか考えていきたい」と語った。

池田治夫さん 拡大
池田治夫さん

池田治夫さん「みんなが声挙げて」

 白山市の池田治夫さん(67)は、2014年7月に発足した「県原爆被災者友の会二世部会」の世話人をしている。県内の被爆者の証言をまとめたDVDの編集に携わったり、日本原水爆被害者団体協議会が出す被団協新聞石川版の制作に関わったりして、友の会を支える活動に関わってきた。

 父昭さんは原爆投下時、海軍の1等機関兵として広島県大竹市で訓練にあたっており、直後に救援のために広島市内に入って被爆した。池田さんが2歳の時に昭さんは亡くなり、被爆体験は聞いたことがなかった。

 進学した金沢大で政治学を教えていた岩佐幹三さん(県原爆被災者友の会初代会長)と出会い、被爆者の肉声を初めて聞いた。岩佐さんはある初夏の日、「きょうは講義はしません」と自身の被爆体験について淡々と語り始めた。倒壊した家の下敷きになった母親を置いて逃げ、見殺しにしたと自らを責める話を前に「原爆は恐ろしい」と初めて身近に感じた。

 この経験をきっかけに、岩佐さんの自宅で酒を飲みながら被爆体験を聞いたり、講演会を手伝ったりした。大学卒業後は医療機関職員として、原水爆禁止を求める署名活動や平和行進に参加。60歳の定年退職を前に友の会に携わり、東日本大震災による福島第1原発事故を契機に「2世としても声を上げるのが大事だ」と14年7月に二世部会を発足した。

 県内の被爆者の証言をまとめたDVD「この空を見上げて~石川・被爆者たちの証言」(発行17年6月)や、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故についての学習会に関わりながら、ある疑問が頭の中に浮かんできた。「父がなぜ家族にも被爆体験を話さなかったのか」

 理由を探そうと父の日記を見たが戦争については「実に残酷であり悲惨なものだ」という一文のみ。もやもやする中、DVDを制作する過程で、投下直後に広島市内で救護に当たった男性の話を聞き、腑(ふ)に落ちた。「話せなかったんだ。あまりにも残酷すぎて話せる内容ではなかったと納得した」。ようやく父の思いに至った気がした。

 友の会がなくなっても、被爆者の証言を次世代に引き継いでいくために証言ビデオを活用したり、指人形で芝居したりして、二世部会としてできることを模索し続けたい。核については学習会や講演会を継続してやっていくつもりだ。

 池田さんはロシアのウクライナ侵攻にも触れ「歴史が逆戻りしてしまった」と憤り、「(友の会が閉会しても)やらなければいけないことは一緒。みんなが核兵器禁止の声を挙げていかないといけない」と語る。

Adblock test (Why?)


からの記事と詳細 ( 「石川県原爆被災者友の会」閉会 平和運動に取り組む2人の思い - 毎日新聞 - 毎日新聞 )
https://ift.tt/x85TRUP

No comments:

Post a Comment