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Friday, February 16, 2024

「一刻も早く助け出す…」大震災を乗り越えろ!被災者救うアプリも:ガイアの夜明け - テレ東プラス

taritkar.blogspot.com

2月16日(金)に放送された「ガイアの夜明け」(毎週金曜夜11時)のテーマは、「大震災を乗り越えろ!~あの主人公はその時~」。
能登半島地震から1カ月半。かつてガイアが取材した人たちは大地震にどう立ち向かおうとしているのか。
本社機能の一部を石川・珠洲市に移した東証プライム上場の医薬品会社アステナホールディングスの岩城慶太郎社長は、行政に先駆けて被災者を安全な場所に避難させる作戦に乗り出していた。一方、働きがいを求めて石川・加賀市に移住した元「ソニー」のエンジニア・山内智史さんは、得意のIT技術を活用して、被災者を円滑に受け入れるためのアプリをスピード開発。デジタルの力で支援の輪を広げようとしていた。
被災者の支援に奔走する主人公たちの姿を、カメラが追った。

【動画】大震災を乗り越えろ!能登に移住した社長が”恩返し”

珠洲に恩返しを! 移住した医薬品会社社長の決断


能登半島地震で甚大な被害を受けた石川・珠洲市。ガイアは3年前、珠洲市の人や自然に魅了されたアステナホールディングス社長、岩城慶太郎さんを取材していた。
岩城さんは本社機能の一部を東京から珠洲市に移し、社員6人とともに移住。珠洲の特産品を作ろうと育てていたのが、漢方薬に使われる貴重な「霊芝」というキノコだ。
さらに岩城さんは、高齢化と過疎化が進む珠洲で、山奥のお寺と街中の病院をつなぎ、オンラインで診察できる実験も始めていた。

1月4日、東京・新宿区。年末から東京に居て無事だった岩城さんは、珠洲の人たちに水や食料を届けようと奔走していた。

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「陸路がダメで、珠洲市に物が入らない。自治体も被災しているので、現地にいるとできないことを私がやる」。
この時、珠洲市に通じる主な道路は寸断され、通信障害も発生し、被害の全容がつかめない状況だった。


1月8日。ガイアの取材班は珠洲市を目指すが、いたるところで通行止め。通常、金沢から珠洲まで2時間半ほどのところ、この日は7時間もかかった。街に入ると、倒壊した家屋があちこちに…。

100年以上の歴史を誇る「櫻田酒造」は、3年前に取材した際、岩城さんと組んで梅酒を使った新商品の開発に乗り出していた酒蔵だ。その「櫻田酒造」を訪ねると、屋根が崩れ落ち、酒蔵は壊滅的な被害を受けていた。

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1月7日、東京・日本橋。岩城さんの会社に、能登にゆかりのある20人以上のボランティアが集まっていた。岩城さんは当初、水や食糧を送る活動をしていたが、方針を切り替え、被災地から人々を避難させる活動を行っていた。
岩城さんが被災者の避難を急ぐのには理由があった。実は8年前の熊本地震では、地震による直接の死者は50人だったが、ケガや病気の悪化などによる災害関連死は、その4倍以上のぼっていた。
岩城さんは、「避難所も衛生問題が発生する。(被災者を)一回疎開させることが人の命を救うことにつながる」。奥能登の冬の厳しさを知る岩城さんだからこそ、そのリスクを懸念していた。

被災者を救うために、できる限りのことをやる…。岩城さんの原点は、100年前の大震災にある。「アステナ」の前身は、1914年に岩城さんの曽祖父、市太郎が創業した薬問屋。関東大震災で店が全焼するも、市太郎は、すぐに薬をかき集め、価格が高騰する中、定価で販売し、人々の信頼を集めたのだ。先祖を襲った試練から100年…4代目の岩城さんも、同じような状況に直面していた。

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1月8日、珠洲市の避難所で出会った今井秀子さん(76歳)は、金沢に住む娘のところへ行きたいと言うが、バスが運休していて移動手段がなく、困っていた。
そんな中、掲示板に「アステナ岩城」と書かれた1枚の張り紙を見つけた今井さん。この時、岩城さんたちは金沢行きのバスを手配し、各避難所で告知していたのだ。

翌朝、岩城さんたちが手配したバスに今井さんを含めた43人が乗車し金沢に向け出発。珠洲市から金沢への大型バスでの避難を、自治体よりも早く実現した。

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1月11日、珠洲市内の駐車場には、北部の海沿いにある高屋町の住民30人ほどが集まっていた。前日まで道路が寸断されて車が通れなかったが、ようやく脱出。金沢へ集団で避難しようとしていたのだ。
リーダーの高木優也さんは高屋町で釣船店を経営しており、岩城さんの釣り仲間でもある。「2次避難の受け入れ先も岩城さんがしっかりと考えてくれて、段取りも組んでくれるので、自分たちも安心して動ける」。
午後6時、高木さんの車を先頭に自家用車14台が金沢へ向けて出発。岩城さんたちの呼びかけによって、被災地から避難する動きが広がっていた。

同じ頃、東京にいる岩城さんのもとに、「金沢に無事来られました」というメッセージが届く。岩城さんが通っていた珠洲市の料理店の店主で、地震が起きてから連絡が取れずにいた友人の1人だ。

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「生きとる 生きとった。………一刻も早く、全員助け出す」。

1月20日。震災後、初めて珠洲に入った岩城さんは、自宅がある木ノ浦地区へと向かう。
そこで一変した光景を目の当たりにする……

情報が錯綜し大混乱の「2次避難所」に…“救世主”現る!?


石川・加賀市。100年以上の歴史を持つ老舗で、北陸最大級の温泉旅館「みやびの宿 加賀百万石」には、次々とバスが到着していた。能登半島から着の身着のままで2次避難してきた人たちだ。避難生活の長期化が避けられない状態となり、より安全はホテルや旅館などに2次避難する人は、石川県内だけで5144人(2月9日時点)に上る。
輪島から3世代10人で避難してきた家族は、それぞれ家が住めなくなり、1次避難所を転々とした10日間を過ごしていた。しかし今日からは、この旅館が仮の住まいだ。

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家族ごとや知り合い同士で一部屋用意されており、天然温泉、三度の食事もあり、3月上旬まではここで過ごせる。「みやびの宿 加賀百万石」の吉田久彦社長は、いち早く被災者の受け入れを表明した。
「旅館として、できるだけのことはやらないといけないという責任感がある。北が復旧するまでは南でしっかりと支えていきたい」。

しかし、旅館では情報が錯綜し、トラブルが続いていた。この日は11人と聞いていたが、避難者が次々と押し寄せて64人が到着、中には車イスの人も。

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避難者の多くが健康に不安を抱える高齢者で、保健師が聞き取り調査で持病や必要な薬などを紙にまとめるが、必要な時に探し出すのも一苦労。現場は対応に追われて混乱をきたし、みんな疲弊していた。

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そんな中、震災直後からいち早く動き出したのが加賀市役所。その中心人物が、加賀市の最高デジタル責任者・山内智史さんだ。
山内さんは、ソニーグループでAIの新規事業を開発したITのプロフェッショナル。3年前、デジタルに力を入れる加賀市の公募に名乗りを上げ、173倍という難関を突破して、今の職を得た。ガイアは以前、そんな山内さんを取材していた。

今回、山内さんが開発を急いだのは、加賀市に避難してきた被災者の情報をタブレットひとつで共有できるシステム。1月12日、山内さんは「加賀百万石」に、わずか4日で開発したシステムを導入する。大災害の現場で、ITのスキルをどう生かすのか。

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